水なすのなす伝

泉州の祭りと特産・名産品

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 泉州の祭り・特産物・名産品
泉州の祭り
だんじり
岸和田市、貝塚市、和泉市、堺市、熊取町、その他泉州全域
泉州の祭り:岸和田だんじり
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  毎年9月に行なわれる岸和田だんじり祭りがあまりにも有名ですが、泉州ではその他の地域でも岸和田に負けじと年々盛大なだんじり祭りが繰り広げられています。重さ4トン余で総欅作り造り、全体に施された戦国絵巻などの綿密な彫り物は動く芸術品です。曳き手、屋根の上で蝶のように舞う大工方、だんじりを左右に操る前梃子と後ろ梃子、それに鐘、太鼓、笛の鳴り物係、各者が息を合わせてだんじりを操ります。特に曲がり角をスピードをあげて直角に曲がる「やり回し」が見所で、これが上手くいくと観客から大きな歓声と拍手がおこります。
 主に9~10月に泉州の各地で行なわれるだんじり祭りでは、この地の特産物が各家庭の食卓を飾ります。中でも大阪湾で獲れる「わたりがに」が有名で、岸和田祭りは別名「かに祭り」と呼ばれるほどです。また水なすの浅漬けや「じゃこごうこ」なども外せないようです。

ふとん太鼓
堺市、
泉州の祭・堺ふとん太鼓
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  堺市では明治の中頃までは祭りの中心はだんじりであったようですが、この頃大きな喧嘩が原因で相次ぎ中止となりました。その後日露戦争の戦勝祝いを兼ねて、各地で「ふとん太鼓」として復活していきました。昭和の大戦による空襲で多くのふとん太鼓が焼失しましたが、各地の神社ごとに復活し、近年は豪華絢爛なふとん太鼓祭りとして盛大になりつつあります。
 毎年10月の第3日曜日とその前日の土曜日には、市街地において全市をあげての「堺まつり」が開催され、2017年で第44回を数えています。堺はその昔、仁徳天皇陵古墳に始まり、中世以降は貿易で栄えた商人の町です。鉄砲が日本で初めて作られたり、金魚が中国から初めて輸入されたのも堺です。その堺まつりで、市民が最も楽しみにしているのが、ふとん太鼓のパレードのようです。

 堺市でお祭りグルメと言えば、泉州名物のくるみ餅があげられます。泉州のくるみ餅は、胡桃を使っていないです。餅を「くるむ」ということから来ているもので、大豆を原料とした餡(あん)です。特に泉州の堺では枝豆を使った緑色のくるみ餡になっているのが特徴です。

太鼓台
貝塚市、泉佐野市
貝塚太鼓台
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  7月の海の日に、泉州の夏祭りのトップをきって行なわれます。重さ1トン半で、岸和田だんじりに勝るとも劣らない綿密な彫り物が施された太鼓台が、2日間市街地を担ぎ回ります。貝塚の太鼓台は、どんなことがあっても車輪を付けません。車を付けるのは恥と考えています。また他市で見られるような静止した状態になるせり上げも行ないません。ひたすら揺すって担ぎ倒します。そんな貝塚太鼓台祭りも、平成の初め頃は少子化等の影響を受けて一時的に担ぎ手不足の時期がありましたが、、現在は以前にも増して賑やかになりつつあるようです。泉佐野市の太鼓台も同様です。特に夜間に提灯をつけても担ぎ続ける貝塚や泉佐野の太鼓台の姿は、勇壮かつ華麗で一見の価値があると言えます。
 そんな貝塚や泉佐野の太鼓台祭りの有名な食べ物は、なんと言っても「水なすの浅漬け」です。担ぎ手の喉を潤すのに欠かせません。また夏の大阪湾から揚がる穴子や蛸もよく見かけます。
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上だんじり
泉大津市、堺市
泉大津だんじり
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 だんじりと言えば泉州岸和田が有名ですが、大阪府泉大津市のだんじり祭も一見の価値があります。例年10月第2土曜・日曜にだんじり祭りが行なわれます。泉大津濱八町のだんじりとは大津神社地区の地車で、上地車(かみだんじり)と呼ばれ、だんじりの大屋根には各町それぞれ個性ある鬼熊(おにくま)が睨みをきかせております。また「かちあい」と呼ばれるだんじり同士の当て合いが祭の大きな特徴で必見の価値があります。     1785年(天明5年)に岸和田城下の北町(現岸和田市北町)が大津村から大型だんじりを購入したものの城門を潜ることができなかった。これがきっかけとなり、翌年には柱に細工を施しただんじりが岸和田で製作され、岸和田型の下だんじりへ発展して行ったと言われている。それほど泉大津市の上だんじりは歴史があります。

やぐら
阪南市、泉南市、岬町、泉佐野市
泉州の祭:やぐら
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 泉州でも南の方はだんじりに代わってこの櫓(やぐら)が有名です。だんじりの様に大屋、小屋を持ち直径1mを超える2輪の巨大な車があります。 その巨大な2輪の機動性を生かし曳行中に音頭(伊勢音頭、やぐら節、のうえ節等)に合わせて 大きく蛇行したり、シーソーの様に上下に上げ下げします。 これをねる、しこるといいます。だんじりのような大工方はいませんが、やぐらの前方に音頭取りが乗り、全体の調子を合わせます。 太鼓は、やぐらの後方に設置され打ち手は後ろから歩きながら打ちます。同じように笛のふきては太鼓の後ろにつきます。やぐらもだんじりと同じく祇園祭を発祥としてますが、だんじりは京都→大阪→堺→泉大津→岸和田と伝わったと言われているのに対し、やぐらの場合は奈良→和歌山→泉州地方と伝わったと言われてます。奈良・和歌山の間はまだだんじりの形を残していましたが、紀伊山脈を越えたあたりで四輪から二輪になったと言われています。なぜ二輪かと言うと坂道が多い地形なので曳きやすい二輪のやぐらになったと言われています。

担いだんじり
泉佐野市
泉佐野担いだんじり
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  泉佐野市の山手に位置する上大木・中大木・下大木が運営する3台のだんじりが、担いだんじりです。曳きだんじりのような車輪が無く、だんじりの周囲を人が担いで運行することから、この名があります。「御神燈」と書かれた高張提灯を先頭としてだんじりが続きますが、人は乗り込まず太鼓と鉦はだんじりの中につり下げられており、打ち手は中に入って中腰になり、太鼓を打ちながら一緒に進みます。また後方からは笛の吹き手が続きますが、近年は子ども達がその役割をつとめています。 

神輿
岬町、阪南市、その他
泉州神輿
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 だんじり、太鼓台、やぐらなどに代表される南泉州の祭りですが、これらの屋台とは別に各地域の神社では歴史のある神輿が繰り出される例が多いです。中でも名の知られるのが、阪南市の秋祭り2日目には、3台の神輿が波太神社から海老野浜までの約3kmの道のりを運ばれ、神事を行う「神輿渡御(みこしとぎょ)」が行われます。また泉州最南端の岬町でも盛大に神輿が繰り出されるようです。
 ちなみに岬町は、昭和30年に深日町、多奈川町、淡輪村、孝子村の4町村が合併して誕生しました。この町が合併してできた町だとわかるものが各地域の家庭に伝承されています。それは、神輿を担いだり、やぐらを引いたりする祭の時には欠かせない「押し寿司」にみるこができます。押し寿司の具材が合併前の各町村によって違うからです。多奈川は穴子、孝子はサバ、深日と淡輪は鱧を使うらしいのです。同じ鱧でも深日と淡輪では調理方法が異なるようです。。興味深い伝統の話です。

まくら祭り
泉佐野市
泉州まくら祭
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  泉佐野市の日根野で行なわれている伝統のあるお祭りです。「枕幟(まくらのぼり)」という独特の幟を担いで日根神社と御旅所を往復します。日根神社は日本で唯一、枕と寝床を守護する神社とのこと。「枕幟」には全部で25個の「飾り枕」が取り付けられております。祭りに合わせて、若い女性が「子宝」「安産」「良縁」などを祈願して手作りし、祭りが終わった後はそれぞれに戻されて、お守りとして家に飾られるそうです。その枕欲しさに、子宝に恵まれない若い嫁が盗みに入ることも昔はあったとか。今となっては、興味深いお話しです。
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泉州の特産・名産品
水なす
岸和田市、貝塚市、泉佐野市、和泉市、熊取町、他
水なす
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  江戸時代に発祥し、「水もしたたるほど水分が豊富」なことが名前の由来で、今や泉州や大阪だけでなく全国を代表する伝統野菜にまで成長しました。にもかかわらず、水なすは泉州でしか育たない高級野菜です。理由は特定されていないのですが、この地方の砂地・適当な塩分が含まれた土壌や、古来からの溜池の豊富さ、温暖な気候、また長く門外不出であった多様な栽培技術などが挙げられています。地域を越えた取り組み・広がりがありますが、なかなか真似はできていないのが現状のようです。
 その特徴は水分の多さ、皮の極めて薄いこと、ほのかな甘味などで、浅漬けを代表としたお漬物として今や全国区となりました。また、その普及にはクール宅急便の拡大も大きく寄与しました。今後もなにわ伝統野菜のトップランナーとしての役割を担って行きそうです。
 泉州各域でのお祭りには、この水なすを使った「浅漬け」や「じゃこごうこ」が欠かせません。各家庭での食卓は勿論、お祭りの詰め所での食事にも必ず登場します。また最近では、地元のお漬物屋さんがお祭りに出店を設けて、水なす漬けを観光客等に販売する姿もよく見かけるほどです。


岸和田市
岸和田包近桃:かねちかの桃
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  大阪府内一の桃の生産量を誇る岸和田。中でも包近(かねちか)地区は明治時代から約100年の歴史を誇り、「包近の桃」というブランドを確立しています。包近の桃は木の上で極限まで完熟させており、その実の緻密さや甘さが特徴です。さらに2015年には、包近地区の生産者の育てた桃が、通常11~14度ほどの桃の糖度を22度を超えるまでに高め、ギネス世界記録に登録され世界から驚嘆されました。旬は6月中旬~8月上旬で、お祭りと言うよりは周辺地域でのお盆に欠かせない産物となっています。
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泉州黄玉葱
田尻町、泉佐野市、泉南市、貝塚市、阪南市、熊取町、岸和田市
泉州黄玉葱
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  泉州地域のたまねぎ栽培の歴史は古く、明治時代に導入されました。先覚者が品種改良をし、「今井早生」「貝塚早生」「泉州黄」などの優れた品種を作出し、最盛期の昭和35年には栽培面積が4,000haを越え、全国でも有数の産地となりました。その後、近くの淡路島をはじめ、他府県の栽培面積が増えたことや、安価な外国産のたまねぎが輸入されるようになった影響で、栽培面積は約125ha(平成14年)まで減少しましたが、水稲の裏作用として今でも重要な作物です。
 水分が多く、甘みがあり、柔らかいのが泉州たまねぎの特徴です。冷水につけてさらさなくても生食が出来るほどです。泉州におけるたまねぎ栽培の発展は気象、土壌、交通などの立地条件がよかったこともありますが、地域の先覚者たちの研究、改良が大きな力となっていました。これら先覚者たちの業績をたたえた顕彰碑が田尻町吉見、岸和田市土生新田、泉南市新家に建てられています。

きゃべつ
泉佐野市、泉南市、阪南市、貝塚市、熊取町、他
大阪しろな
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  関西では、大阪の泉州地域が寒玉キャベツ(春は泉州タマネギ)の生産地として知られます。なかでも、注目を集めるのは「松波」という品種。なにしろ、大阪をはじめ各地の名だたるお好み焼きの店で使われています。
泉州地域で寒玉キャベツの栽培に力が入れられたのは、昭和30年代のことです。特産品の泉州黄玉葱が春に収穫を終える端境期の冬、次なる特産品として寒玉キャベツの導入が図られたようです。松波にしても、本格的な栽培は昭和50年代からと言われます。

いちじく
岸和田市、和泉市
岸和田いちじく
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 いちじくは果肉が柔らかく、保存や運搬が難しいため、都市近郊で栽培される果物の代表と言えます。 大阪府では、羽曳野市、藤井寺市、河南町などの南河内地域で栽培が盛んですが、最近では泉州の岸和田市や和泉市で温暖な気候を利用して栽培が広がりつつあります。旬は8~9月で、生食以外にもジャムやドレッシングの材料としても利用されています。いちじくの栽培は「一文字仕立て」と呼ばれ、実をたくさんならすために枝を地面に平行に横に伸ばすのが特色です。そのため一目でいちじくの栽培だとわかります。
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たけのこ
貝塚市、他
貝塚木積タケノコ
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  貝塚市東部の木積(こつみ)地区のたけのこが有名です。木積は和歌山県境にほど近い奥水間にあります。地名からも分かるように水に恵まれたこの地の赤土は筍を育てるのに最適な粘質と養分を持っています。昭和の初め頃までは朝堀された筍が黒門などの市場に出荷され、主に料亭用として珍重されてきました。何故に当時の大阪人は木積産を以て一級品としたのかは、木積ならではの竹林管理に知ることができます。筍は採るのではなく作られるもの、と言われるほどに竹林管理は難しい。木積では早くから独自の親竹管理法等を徹底させることで、市場の期待に応えられる白子の筍を産してきたようです。 しかし敷藁・敷草など作業が重労働なことから後継者が激減し、当時貝塚市内に百件近くあった筍農家も、現在は20件ほどになってしまっています。
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ワタリガニ
岸和田市、泉佐野市、田尻町、その他大阪湾岸全域
泉州わたりがに
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  ワタリガニ(渡り蟹)は学術名をガザミと言い、、日本から中国沿岸の砂~砂泥域に生息しています、海を泳ぎ渡り、生息場所を大きく移動させることが名前の由来です。大阪湾は砂泥質の内湾で、ワタリガニの餌となるゴカイなどが多く生息するため、古くからこの蟹が多く漁獲されていました。大阪湾で水揚げされる魚介類の中でも、とりわけ希少価値が高いのがワタリガニです。美味だが、非常に寿命が短いため、市場に数が出回らず、さらに冷凍保存もできないのが理由です。中でも大阪湾の泉佐野沖から岬町沖までには大きなくぼみがあり、そこ住んでいるワタリガニは最高に美味しいのです。
 秋のだんじり祭りで知られる岸和田市では、水なすと共に欠かせない食べ物です。祭りのときに親戚が集まって水なす漬けやワタリガニに舌鼓を打つ風景は、岸和田の秋の風物詩です。そのため岸和田祭りは、別名を「カニ祭り」と呼ばれるほどです。

泉だこ
岸和田市、泉佐野市、田尻町、その他大阪湾岸全域
泉ダコ
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 大阪湾は魚庭(なにわ)の海といわれ、たくさんの種類の魚介類がとれます。なかでもエビやカニなどのえさが豊富で潮の流れが穏やかなことから、風味よくやわらかいタコが育っています。
 平成22年5月に、大阪府漁業協同組合連合会の「泉だこ」が地域団体商標として登録されました。しかし、タコといえば、全国的にも、関西圏においても圧倒的にメジャーなのは兵庫県の明石ダコでした。タコだけではなく関西の市場では、どんな魚も明石ブランドは絶対的な価値がある。その価格差はあまりにも大きかったのです。そこで大阪の魚の価値向上という起爆剤としても、泉州のタコの「ブランド化」が取り組まれることになったのです。今後の展開が期待されます。
 なお、例年7月に行なわれる泉佐野市や貝塚市の太鼓台祭りでは、この泉だこを使った酢の物などの料理がよく食されます。
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穴子
岸和田市、泉佐野市、田尻町、堺市、その他大阪湾岸全域
泉州あなご
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 アナゴは大阪湾で獲れる代表的な魚で、江戸前の東京湾に負けないくらい有名でした。古くから、天ぷらや寿司のネタなどとして親しまれ、「天下の台所」と呼ばれた大阪の食文化と密接に関連してきた食材です。当然に泉州のお祭りでも欠かせないご馳走でした。祇園の鱧に対し、泉州の穴子と称する向きもあったほどです。ところが、その漁獲量は年々減少し、私たちの食卓にのぼることも少なくなりました。アナゴが大阪湾の特産品であることを知らない世代もまた増えてきているようです。いくつもの川が流れ込む大阪湾は栄養満点で、またエサとなる小魚やエビなどが豊富なため、アナゴはよく肥えてふっくらと成長します。このため泉州を中心に、アナゴを地元の名物として復活させようという養殖プロジェクトもあり、今後の展開が期待されています。

しゃこ
岸和田市、泉佐野市、田尻町、その他大阪湾岸全域
泉州しゃこ
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  かつて、シャコは大阪湾の安くて美味しい物の代表でしたが、大阪府のシャコの漁獲量は昭和46年~平成11年までは年平均464トンあったのが、平成12~16年には年平均で185トンと、近年非常に減っています。特に2000年代に入ってからは激減し、最近は統計こそありませんがほとんど採れなくなったようです。その理由の一つとして温暖化による水温の上昇があげられています。 大阪湾の水温は1970年代に比べて0.8℃上昇しています。水温が上がって早熟になったシャコが、産卵のためにエネルギーを使い果たし、大きくなる前に死んでしまっている可能性が高いらしいのです。伊勢湾や東京湾でも同様の傾向が見られるそうです。
 実は、大阪南部では、シャコは塩茹でしてそのまま食べるのが一般的で「泉州の祭りを代表するソウルフード」と言われるほど、地元の人に愛されてきました。大阪湾名物だったシャコ。泉州が誇る食文化は、このまますたれてしまうでしょうか。   
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じゃこごうこ
貝塚市、岸和田市、泉佐野市、熊取町、他
じゃこごうこ
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  泉州水なすの知られざる郷土料理としての存在感。その代表的な食べ方の一つとして「じゃこごうこ」があります。水なす漬物を古漬けにし、大阪湾で獲れる小エビを生姜と一緒に甘辛く佃煮風に炊き合した料理です。名前の由来は海老じゃこと、水なすのお漬物(香の物=こうこう=ごうこ)を合わせて「じゃこごうこ」となりました。泉州地域では昔から、豊作で採れすぎた水なすは、冬の間の保存食を目的として糠床へ漬け込まれ、古漬けとして食べられていました。また、大阪湾で大量に獲れた海老じゃこと一緒に炊き合わせると非常に美味しく、お金もかからない料理だったことから、昔の泉州地域では生活の知恵としても親しまれてきました。このように昔はあたりまえに一般家庭にありましたが、各家庭、泉州地方の中でも各地域によってまったく味が違うという特徴もあります。そこがまた郷土料理として粋なところです。
 現在では糠床を持たない家庭が増えたこともあり、食べる機会も少なくなり、「じゃこごうこ」を知らない若い世代・核家族も増えてきました。その存在が薄れつつあるのも事実ですが、これからも残していきたい泉州の自慢できる郷土料理です。

村雨
貝塚市
村雨
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 安政元年(西暦1854年)の創業当時より村雨(むらさめ)を作り続けているのが貝塚市西町の塩五(しょうご)です。村雨は泉州を代表する銘菓の一つとなっています。小豆と米粉と砂糖のみで作られた、棹物の蒸し菓子です。見た目はそぼろ状のつぶつぶ感があります。小豆を柔らかく炊き、皮を取り除いて細かくすりつぶし、水分をとばした状態を「生あん」と言います。生あんに、米粉と砂糖を混ぜ合わせそぼろ状になったものを特製の蒸籠(せいろ)に詰めて蒸しあげます。蒸す前はそぼろ状なのですが、蒸すことにより米粉の成分でホロホロとした独特の口あたりで、楊枝を入れると柔らかく崩れるような感じです。口に入れて噛むともちもちとした食感になり、ほんのりとした甘さが口に広がります。泉州地域には村雨とよく似た製法で作られる和菓子がいくつかあり、それらの和菓子の総称と思われがちですが、「村雨」の発祥は塩五で商標登録されています。餡を入れて蒸した「村雨まんじゅう」というのもあり、こちらは村雨よりも少ししっとりとした食感です。
danjiri futondaiko taikodai kamidanjiri yagura ninaidanjiri mikoshi mkuramaturi mizunasu momo senshiyukitamanegi kiyabetsu ichijiku takemoko watarigani izumidako anago shiyako jiyakogouko murasame takobouzumonaka


たこぼうずもなか
貝塚市

たこぼうずもなか
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  貝塚市海塚の林宝泉堂は明治39年(1906)創業の和菓子店です。名物「たこぼうずもなか」には、岸和田城の伝説と現3代目店主・林孝信さんの誕生秘話が込められています。まず前者は岸和田に伝わる蛸地蔵にちなんだお菓子ということです。かつて豊臣秀吉の時代、岸和田城が敵から攻め込まれたときに、沖の方から1匹の大タコに乗ったお坊さんと無数の小タコが現れ、敵を蹴散らしお城を守ったという伝説に由来します。一方後者は、先代の子が女子ばかり続き、男子誕生を願いこの最中を考案したところ、直後に3代目を授かったとか。そんな最中には北海道産大納言小豆のつぶアンがぎっしり。無添加なので子どもでも安心して食べられると好評です。
 ちなみに林宝泉堂の店舗のある五叉路はだんじりのやりまわしスポットとしても有名です。毎年の祭礼では、何台かのだんじりが角を回りきれずに店舗に突っ込んでくるとか。しかし店主は一人の怪我さえなければ、これを縁起物がやってくると容認しているのです。こんなことからも、たこぼうずもなかは出世や子宝の縁起物としても親しまれています。
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